No.40   ・東アフリカ ・東ドイツ ・ビルマ ・東カリブ海諸国


East Africa
東アフリカ

10セント  青銅
Y26 (KM24)   1936
東アフリカ

1セント  青銅
Y27 (KM29)   1942
東アフリカ

10セント  青銅
Y29 (KM26.2)   1943
東アフリカ

1セント  青銅
   (KM32)   1952
東アフリカ

5セント  青銅
Y33 (KM33)   1952
東アフリカ

1シリング  白銅
Y36 (KM31)   1952
東アフリカ

1セント  青銅
Y37 (KM35)   1959
東アフリカ

5セント  青銅
Y38 (KM37)   1963
東アフリカ

5セント  青銅
Y41 (KM39)   1964
東アフリカ

10セント  青銅
Y42 (KM40)   1964




East Germany
東ドイツ

10ペニヒ  アルミニューム
Y3   1950
東ドイツ

5ペニヒ  アルミニューム
Y6   1952
東ドイツ

1ペニヒ  アルミニューム
Y8   1968A
東ドイツ

1ペニヒ  アルミニューム
Y8a   1985
東ドイツ

5ペニヒ  アルミニューム
Y9   1975
東ドイツ

5ペニヒ  アルミニューム
Y9a   1983
東ドイツ

10ペニヒ  アルミニューム
Y10   1968
東ドイツ

20ペニヒ  アルミ黄銅
YA11   1969
東ドイツ

5マルク  銀
Y76   1981
フォンシュタイン150周年
シュタイン
1757〜1831
Heinrich Friedrich Karl Reichsfreiherr vom und zum Stein
ドイツの政治家。プロイセン改革の指導者。
ナッサウの帝国騎士の家柄に生まれ、ゲッティンゲン大学でイギリス自由主義の影響を受け、1780年以後のプロイセン官吏の経験から絶対主義への批判を強めた。1804年大臣となったが、官房政治を批判して罷免された。隠棲中に『ナッサウ覚書』を起草し、近代国家建設の理念を説き、1807年ティルジット条約後ふたたび首相に起用されると、その理念に従って農民解放、都市条例、国家機構の改革などを断行して「プロイセン改革」の口火を切ったが、ナポレオンに忌避され、1808年オーストリアに逃れた。のちロシアに赴いてナポレオン打倒のため奔走し、1813年プロイセン・ロシア同盟を成立させた。ウィーン会議にはロシア政府顧問として出席し統一ドイツ実現のため活動したが、メッテルニヒに阻止された。以後政界から退いてドイツ歴史資料収集に取り組み、『モヌメンタ・ゲルマニアエ・ヒストリカ』(ドイツ中世史料集)の基礎を築いた。




Burma
ビルマ

1ペニヒ  青銅
Y18   1952
ビルマ

5ペニヒ  白銅
Y19   1952
ビルマ

10ペニヒ  白銅
Y20   1965




East Caribbean States
東カリブ海諸国

1セント  アルミニューム
KM1   1987



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