日本銀行 貨幣博物館
  東京都中央区日本橋石町1-3-1に開設されている「日本銀行貨幣博物館」です。
*正式には、「日本銀行金融研究所貨幣博物館」というようです。
※2015(平成27)年11月21日にリニューアルオープンしています。(ので、この頁は古い情報です)
日本銀行に貨幣博物館があることは知っていましたが行った事(案内図)はありませんでした。
貨幣類(≒20万点所蔵、≒4000点展示している)規模は国内最大であるといわれ、東洋の貨幣に関しても世界屈指の貨幣コレクションと言われています。
※(中国の上海博物館・中國歴代錢幣館のコレクションも素晴らしいものでした)
貨幣博物館見学に行かなくてはと思っていたのですがなかなか切っ掛けが・・・今回時間をとり午後3時頃に行きました見学者は私の他には1名という少なさでした、ビデオコーナーでお金の話を見てから展示室に入りました。
百聞一見にしかず、皇朝十二銭、大判金等々普段目にすることができないコイン(紙幣は後回しにしましたが結局見られませんでした)をじっくりと見ることができ時間(16:30まで)が足りなかったのです。
無料でこれほどのコインコレクションを見る事ができるのですから貴方も見学に行かれたらとお勧めの博物館です。
03.01.18裕・記編集

03.01.15撮影

03.01.15撮影
日本銀行 金融研究所
貨幣博物館パンフレット
日本銀行分館 貨幣博物館入口

03.01.15撮影

03.01.15撮影
貨幣博物館のお知らせ(チラシ)
テーマ展示は寛永通宝をやっていました
ビデオコーナー
展示を見る前にお金の話を聞いてから
日本銀行
東京都中央区日本橋本石町1‐3‐1
かへい
貨幣

money英語
Geld 独語
お金。ふつうは金貨・銀貨・銅貨・白銅貨・アルミ貨などの硬貨と紙幣、および要求支払い預金をさす。定期性預金を含める事もある。
経済主体には生産の主体と消費の主体とがあり、相互に依存しあい、結び付いて、流通経済、市場経済を形成しそこに貨幣が介在する。近代経済における貨幣は、財貨=商品とともに各個別経済を結び付ける連鎖である、この場合貨幣には、媒介的存在のものと目的的存在のものとがある。
 媒介的存在のものは商品を購入した対価として支払われる貨幣の流れで、貨幣は購買手段あるいは流通手段として機能する。
 目的的存在のものでは貨幣だけが一方的に流れ、より多くの貨幣となって(利子を付して)ふたたび還流してくることが期待されている。ここでは貨幣それ自体があたかも商品のごとく、需要供給、すなわち取引の対象となっている。
こうか
硬貨
1 金属で鋳造した貨幣。紙幣と区別してよばれる。コイン。
2 国際金融上の用語、為替管理下になく金または米ドルなどの外貨と交換可能な通貨。hard currency
 ※交換不能の通貨を軟貨という、米ドルが1971年8月に金との交換性を停止したことにより厳密な意味での硬貨はなくなった
しへい
紙幣
paper money英語
Papiergeld独語
政府紙幣や銀行券などの紙製の貨幣。
 通常は、同じ紙幣(紙券貨幣[ペーパー・マネー])であっても、兌換(だかん)銀行券、商業手形、小切手などを信用貨幣として区別しているので政府紙幣をさして用いる。
 紙幣の歴史は古く、中国ではすでに漢の時代に存在していたといわれるが、各国政府によって本格的に発行されたのは18〜19世紀である。
せいふしへい
政府紙幣
政府が直接発行する紙幣。
 強制通用力が付与されている。正貨と兌換されるか否かで兌換紙幣と不換紙幣とに区分されるが、多くは後者である。単に紙幣または不換紙幣ともいわれる。
(にっぽん)ぎんこうけん
(日本)銀行券
(日本銀行が発行する銀行券。日銀券。)  今日の代表的な現金通貨であり、法的には銀行が発行する債務証書の一種である。
当初は額面金額はそのつど記入されたので個々に異なっており、したがって種々雑多な額面金額のものが流通していたが、現在では各国とも数種の一定金額のものに統一され、法貨としての資格が付与されている。偽造を防ぐために特殊な用紙に精巧な意匠で印刷されているものが多い。
19世紀後半には、銀行券を集中発行する中央銀行を設立する動きが世界的に定着した。銀行紙幣。
にほんぎんこう
日本銀行
 我国の中央銀行。正しくは「にっぽんぎんこう」といい、日銀と略称する。1882(明治15)年発足。<
日本銀行は、諸外国の中央銀行と同様に、発券銀行、銀行の銀行、政府の銀行、金融政策の運営、の4機能を営んでいる。
日銀は日本銀行法に基づく特殊法人である。資本金は1億円、うち5500万円は政府出資、4500万円は民間出資である。最高意思決定機関は政策委員会であって、日銀総裁、副総裁2人、審議委員6人、計9人で構成され、公定歩合の変更などの金融政策のほか日銀の業務についての重要事項を決定する。財務大臣または経済財政政策担当大臣は、必要に応じて金融政策を審議する会議に自ら出席し、またはその指名する職員を出席させ、意見を述べ、議案を提出することができる。
ぞうへいきょく
造幣局
 財務省(旧大蔵省)の特別の機関(2003年に財務省所管の独立行政法人となる)。
1869(明治2)年2月に太政官のなかに設けられ、同年7月に造幣寮と改称し、英国から造幣機械を輸入して1871年4月に大阪で開業した。1877年1月に再び造幣局と改称した。2001(平成13)年1月の中央省庁再編で、大蔵省が財務省に改称したのに伴い、財務省の所属となる。2001年現在、大阪市の本局のほか、東京、広島に支局を置いている。

 造幣局の事業は、貨幣・勲章・章牌・合金および金属工芸品などの製造、貴金属の精製および品位の証明、鉱物の分析および試験など。これらの事業を一般会計と区分して企業的に運営するために、特別会計が設けられている。
もっとも大きな事業は貨幣の製造。
こうちょうじゅうにせん
皇朝十二銭
 日本古代において律令(律=刑罰についての規定、令=政治・経済など一般行政に関する規定)政府(大化の改新後の7世紀後半〜10世紀ごろまで)が発行した12種の銅銭の総称。
和同開珎、万年通宝(まんねんつうほう)、神功(じんぐう)開宝、隆平(りゅうへい)永宝、富寿神宝(ふじゅしんぽう)、承和昌宝(じょうわしょうほう)、長年大宝(ちょうねんたいほう)、饒益神宝(じょうえきしんぽう・にょうやくしんぽう)、貞観(じょうがん)永宝、寛平(かんぴょう)大宝、延喜(えんぎ)通宝、乾元(けんげん)大宝の12銭をさす。   私はこの中の1種も収集できませんでした。
 律令政府はこれ以外にも、銀銭の和同開珎、大平元宝(たいへいげんぽう)、金銭の開基勝宝(かいきしょうほう)を発行している。
1998(平成10)年に奈良県明日香村から多く出土した富本銭(7世紀後半)を入れると合計16種の銭が発行されたことになる。
わどうかいちん
和同開珎
 日本古代の銭貨。銀銅両種があり、銅銭は皇朝十二銭の第一番目とされてきた。
708(和銅元)正月、武蔵国秩父郡(埼玉県秩父市)から和銅が献上されて「和銅」と改元されたのを受けて、5月に銀銭(翌年廃止)、8月に銅銭が初めて発行された、律令国家の銭貨政策の中心に置かれたのは銅銭であった。
 「わどうかいほう」と私は習ったが、銭文「和同」は年号と吉祥(=めでたい兆し)句の両意を含む、「珎」は史料からみて「珍」の異体で「チン」と訓(よ)むと言うのが現在の大勢ですね。
ふほんせん
富本銭
 7世紀後半に日本で鋳造された銅銭。
和同開珎に先行する鋳造貨幣と考えらている。円形銭の中央に方形の穴があいた円形方孔銭で、上下に「富」と「夲」の2文字、左右にそれぞれ七曜文を配す。
富本銭は、長らく江戸時代につくられた縁起物の絵銭(えせん)の一種と考えられてきたが、1985(昭和60)年に平城京跡から江戸時代の絵銭とは型式の異なる富本銭が出土し、従来絵銭とされてきたものが、古代の富本銭を模鋳したものであることが判明。さらに1998(平成10)年には、奈良県明日香村に所在する飛鳥池遺跡の工房跡から、鋳張(いば)りのついた富本銭や鋳棹(いざお)が多数出土し、富本銭の鋳造場所が特定された。
おおばんこばん
大判・小判
江戸時代の金貨。
大判の鋳造は15世紀中ごろ以後貿易用に量目42匁(158グラム、田舎目10両)の金貨がつくられたことに始まる、いわゆる大判としては1588(天正16)年豊臣秀吉の命でつくられた天正大判がもっとも古いとされている。
江戸時代には後藤徳乗(とくじょう)家が特権を与えられ、大判座で鋳造。表裏の文字墨書やその手入れ、墨書の書き直しも後藤家で行った。
小判は1595(文禄4)年徳川家康が江戸と駿府で鋳造させたのがおこりである。1601(慶長6)年以後、慶長小判と一分判を継続して大量に鋳造し、標準通貨となった。
資料は:小学館版『日本大百科全書』ポケット版他



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